あの日から24年

平成7年1月17日5時46分、淡路島北部の北緯34度36分、東経135度02分、
深さ16kmを震源とするマグニチュード7.3の地震が発生。最大震度は7を記録した。
死者・行方不明者は6437人(平成18年5月19日、消防庁より)

あの大惨事から24年目の1月17日が近づいています。

当時、私は小学生でした。
和泉市にあるマンションの7階に住んでいました。
朝方、下から突き上げるような大きな衝撃で目が覚めました。
起き上がると動けないほど横に揺れていて、天井の電気がちぎれて飛んできそうな程揺れていました。
小鳥を飼っていたので地震の揺れが少しおさまった瞬間に、小鳥の元に走っていきました。
鳥かごは倒れていましたが、小鳥はバタバタすることもなくじっとしていました。
無傷だったので心からホッとしました。
幸い、我が家は大きな被害もなかったので学校にも行きました。
空気が澄んでいる日は学校から淡路島や神戸方面まで見えるのですが
煙があちこちから上がっている様子が見え、
どうなってしまったのかと幼いながら恐怖を感じていたのを覚えています。

もう24年、まだ24年、何とも言えない月日です。
この世のものとは思えない、横倒しになった高速道路の姿が今となっては嘘のようです。
多くの人の力で被災地は復興してきたんだと映像を見る度に思います。

20代の頃、テレビ局で勤務していた時に上司から聞いた話では、
阪神大震災の時は、常に情報を伝えるために仕事をしていて、
数ヶ月家に帰ることができない状況の方も多くいたようです。
交通は完全に停止しているため、自転車で現地に入って状況を調べたりもしたそうです。
とにかく大切な人といたい非常時でも、この情報を待っている多くの人がいる!という使命から
家族と離れて仕事に向かい続ける人。それを理解して家を守る家族。
本当に凄いの一言でした。
そんな方たちがいてくれたから、現地の情報も届き、復興にも繋がっていったんだと思います。

最近も日本全国で地震がよく発生しています。
南海トラフも近い将来、必ず起こると言われています。

”天災は忘れた頃にやってくる”
当たり前にやってくる毎日に、つい何となく過ごしてしまいがちです。
当たり前の日々はないと、毎日に感謝してこの24年目も迎えたいですね。